「君の名は?」と聞く前に確かめることがそこにはある。


大人気の映画、

「君の名は」

を見た。

 

 

すばらしい作品だった!

あのシーンは・・・などと、作品の感想を述べると見せかけて、

全く関係ない話しをします。

 

先日、今働く会社の創業者と話す機会がありまして、

曰く

「君は、「君の名は」を見たか?あれはいい作品だぞー
今や何でも携帯でしょ?
鈴木京香がいい味出しているんだ」

とのこと。

 

おー、公開すぐで、もう映画を見たなんて、感度高いなー。

このスピード感が成功の秘訣かー

とか思いながら、私も映画を見たんだが、

なんか全然違うぞ?

 

と。

 

鈴木京香とか1ミリも出てこないし、

待ち合わせってなんだ?

 

 

 

また、別のケースなんだが、先日秋葉原に行くことがありまして、

降りた瞬間に大量に目に入る広告を見て思う。

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写真撮り忘れたのでネットから拝借。

 

メッセージが全然刺さってこない。

 

なぜ?

言っている意味が全然わからないから。

 

いうなれば、これもそう。

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最近駅でよくこの広告見るんだが、

ミュゼ行かないし。

この子誰か知らないし。

31歳のおっさんには1ミリも刺さらない。

 

 

先の広告も、きっと、アキバに集う人たちの中では共通言語だからこそこれが広告として成り立つわけであって、ミュゼの女の子はアキバよりもうちょっと広い範囲に訴求できるから山手線に広告があるわけであって、

それぞれ、当然にしている知識や背景がありますよね。

 

 

 

そうなんです。

人とコミュニケーションを取るときって前提条件が超大切だよね。っていう話し。

 

阿吽の呼吸とか、惻隠とか

我々は日本という、ハイコンテクストな環境に生まれ、育ち。

だから忘れがちだけど、

同じ国にいても、属した組織、年齢、考えなどが違えばかなりズレがあるよねと。

 

別にハイコンテクストな環境がダメ。

ローコンテクストな文化がイケてる。

というわけでは全くないんですが、

 

「相手も当然知っているだろう」というコミュニケーションの取り方を続けると、

仮に相手が知らないときに論のズレが大きくて、

「意見の違い」が「人間性の違い」

になって、

 

なぜか、

「意見の対立」ではなく、「人間としての対立」

になるケースがすごく多いなーと。

 

思い当たるフシありません?

 

 

これって本当に疲れる。

 

戦わせたいのは意見であって、人格ではない。

 

そして、こういう時っておおにして意見の妥当性ではなく、両者におけるパワーバランスが強い方が勝ってしまうのが、ハイコンテクストな文化の不思議。

 

違う時空を生きているのに、共感してつながれる。

のはアニメの世界だけ。

 

電車に乗っていて、窓越しに笑顔を振りまいたら気持ち悪いし、

その人を走って追いかけたらもうストーカー。

それが現実。

ちゃんと、前提条件を合わせましょう。

 

 

人と話すときに、見ている世界や、生きてきた環境が違い、

違和感を抱いたら、

「君の名は?」と聞く前に、他に聞くことがある。

 

今回の私の件では、

時代も違えば(昭和と平成)、

時空も違う(二次元と三次元)。

そりゃかみ合わないはずだわ笑

 

どうでもいい内容で、議論したわけでもないんだが、

仮にこれが商談だったり、何かを伝える場だったりしたら、こういった油断が命取りになるなーと思ったり思わなかったり思ったり思わなかったり。

 

自分の方が多数派だったり、組織に属した側の立場だったり、年長だったりと、

優位な立場にいるときこそ、

相手の生きた文脈に思いを馳せ、歩み寄りながらしゃべらないと、

下は付いてこないなーと、部下が0人ですが、

気をつけよう。

と思った、そんな秋の夜長。

 

相手の文脈に歩み寄ろうと決めた今日。

こっちの君の名はは面白かったが、

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こっちの君の名を見る予定は・・・・ない。

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