アニメを見て思う、解釈の自由さ。チーム内のコミュニケーションに正解はあるんですかね。


 

なぜか、アニメが見たくなったので、

かぐや姫の物語と、ハーモニーというのを見た。

 

選んだ理由は、一つは絵がキレイ。

もう一つは絵が汚いから。(素人目に見て)

※ワタクシ何かを考える時は、対極的なものを見るクセがあります。

 

2つの作品に対する私の感想は、、まぁいい映画だったんじゃないかなと。

 

 

ハーモニー

病もなく、老いも死もない世界で、人がいかに生きるかを問うた哲学的な作品

きれいな作画だった。

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かぐや姫の物語

いわゆる、竹から生まれたかぐや姫。

ジブリが作るなんだか作画も汚い不思議な作品。

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うーーーんと考えながら、皆さんどう感じるんだろうなーと思って

両方の評価を見ると、

 

ハーモニー:絵はきれいだが、哲学的な問いや難しいテーマに挑んだ駄作

 

かぐや姫の物語:作画の汚さや、古典だからと敬遠するな。

その奥に秘められた彼女の生き様。

自由に生きれない人間ではない何かが、人間の欲を目の当たりにし苦悩して行く・・・

みたいな。

 

 

私の感想としては、両方たいして面白くなかった。

しいていうならハーモニーの方が、テーマが明確で、作画もキレイで今時のアニメってこんなすげーんだなーとは思いました。

 

と、これで終わってもいいんだが、レビューがどうしてもひっかかる。

 

お前ら本当にそう思ったのか?と。

 

私の感受性が乏しい可能性も否めないのだが、

崇高なテーマに対して、何か答えを出そうと表現したハーモニーには、

「期待ハズレだった。もっと哲学を勉強してから描きやがれ。」

という批判。

 

よく分からないふんわりしたテーマのかぐや姫には、

「あれは感受性が豊かじゃないとわからない。」

「彼女の苦悩が現代人のそれとリンクして号泣。」と、

もしかしたら、作者が想像すらしていないメッセージを、

もしかしたら、作者が描ききれていない文脈をすら、

自分たちの脳みそでいいように補完して解釈している嫌いはないかね?

 

そういった、視聴者側の勝手な解釈への可能性すらも包含してあの作品を作ったのであれば、さすがはスタジオジブリ。

 

 

でも、この感覚が実はデジャブというか、チームを率いて人を動かす時もそうだったなーと。

こちらが、完璧なまでにお膳立てして、あとはプロセスと結果を味わってくれというほど完成度の高い仕事を振り、結果ハイパフォーマンスが出たにも関わらず、なぜかどこかであら探し。

 

お恥ずかしながらこちらが、いまいちつかめずに出した指示や戦略で、結果うまくいかなくてごめんなさいを伝えようと覚悟を決めてフィードバックもらうのに、なぜか良いように補完して、超ポジティブに満足げ。(上司としてはラッキーと思いながら大反省ですが)

 

結局ね、何かを伝えるって本当に難しいよなーと。

完璧にスッキリ解釈できるように伝える方がいいというのがロジカルなんでしょうけど、実は阿吽の呼吸というか、惻隠的な伝え方のほーが、結果的にはよかったりする時もある。

 

 

映画のような作品だと分からないのですが、言葉で伝える場合は、

私の結論では、何を言うかではなく、誰が言うかが重要なので、

伝えるその0.000001秒前に結果が決まっていると解釈しています。

 

よく言えば、配慮を伴って味方を作る。

悪く言えば、政治が全てを司る。

 

 

でもね、誰が言うか?などと考えも及ばないほど、「誰」と「俺」に差がない人しか集まらない組織が仮にあるとすれば、発言権を得る「誰」になるための時間すらも、「目標達成のため」に使えるのかなーと。

 

「誰」が重要にならない程、同じ視界を共有する方法ってないもんかね。

そんなチームを作りたいなーと、部下が一人もいない新人が思う夏の終わり。

 

 

まぁ、そういうチームを当然俺なら作ることができるんだけどね!などと、傲慢になったとしても、

最後のライバルは、2:8よろしく、パレートの法則。

 

同じ視界のレベルで集まっても、時が経てば結局2割と8割に別れてしまう。

 

 

やるからには、日本・世界一を目指すのがモットーですが、

死んだ人には逆立ちしても勝てないからどうしましょうかねーと思うそんな夜。

パレートの法則

ヴィルフレド・パレート

道半ばで挫折したら、イタリアの彼の墓まで殴りに行こう。そうしましょう。