塾・予備校業界なんて面白いんですか?


 

「教育業界なんて面白いんですか?」

 

 

かれこれ月に一度は更新し続けていたブログですが、水溜りよりも浅い理由で、書くことができず、危うく途切れちゃうところでした。

 

最近情報発信しないし、何してるんですか?と聞かれることも多いのですが、なんか色々環境が変わったので、SNSでつぶやいたら、風が吹けば桶屋の論理で、意図しない一人歩きになってしまうのが怖かったので・・・と言い訳させてください。

 

まぁ、単純に、書くネタがなかっただけです。

 

先週の土曜。

スタバで読書をしていたら、隣の大学(推定)4年生3人組が「えーマジ?塾でしょ?
教育業界なんて楽しいの?」と、内定先の企業報告に花を咲かせておりました。

 

一人は、コンサルティング営業をするベンチャー。

一人は、専門商社。

どちらも、「コンサル」と、「商社」というフレーズが人気だが、その実態は、ただの営業だったり、ただの卸だったりするけども、コンサルとか商社とかつくと響きがいいのかね。
(コンサルと商社に他意ございません)

件の彼が、バカにされつつも、なんか教育業の魅力を語っていましたが、私はすげートイレ行きかったのであまり覚えていません。

 

でも、ふと思うと、

私の生きる狭い世間でも、やっぱり塾・予備校の先生「なんて」と馬鹿にしている人が多いような気もするなーと。

しかもですね、別業界から来た人は感じていないのに、中にいる人が自身を卑下するケースのなんと多いことか。

なんか引っかかるので考えてみた。

 

 

彼らが言う「なんて」を深堀していくと、どうやら

① 拘束時間が無駄に長い(土日休みじゃなかったり、午後から深夜までの仕事で、いわゆる普通ではない)
② 給料が安い
③ 仕事が想像できて面白そうじゃない(自身が、高校→大学と進めばまぁ、塾や学校の先生の仕事は想像できちゃうよね)
④ なんかイケてない(世界を動かしてる感がない)
⑤少子化だし未来ないでしょ

などなどが浮かび上がってくる。

 

確かに、塾予備校「なんて」、司法試験崩れや就活失敗組みの社会のセーフティーネットというか、そういう側面があるのは否定できませんが、彼らの言う、塾「なんて」は、実は「教育という仕事内容」に向けられたものではなく、「教育を生業としている企業の待遇とイメージ」に収斂されるんじゃないかなーと。
by俺の周り調べ。

①②③④なんてまさにそうじゃない?
かたや、高報酬である業界でも、「今の報酬の半分になったら絶対転職してる」と豪語する奴や、同じ会社でも、部署(=役割)が違えば、楽しそうに働くやつも、つまらなそうな人もいるわけで、

価値観「なんて」人それぞれ。

 

少なくとも自分が「○○「なんて」嫌だ。」と卑下してしまう選択肢しかとれない人生にだけはしたくないので努力はしようと思ったり思わなかったり。

 

まぁちょっと調べてみれば、待遇への不満は自分の能力足らず。

塾の先生である東進の永瀬社長は、昨年5000万円くらい報酬もらってるんだからと考えると、ほら業界関係ないじゃんと。(平成27年の有価証券報告書参照)
(大多数がもらう額は確かに低いけどね)

むしろ、FCビジネスなどの参入障壁の低さを考えれば、塾・予備校業界ほど楽に、平均よりも多くのお金を稼ぐ手段はないんじゃないか?

 

 

さて、今日の本題。(長いね)

実は「教育業」でくくると、メディアを騒がせたり結構イケてる企業や、サービスが多いんです。

それでも、先に挙げた、①〜⑤のように言われるのは、、、

誤解を恐れずに言えば、教育業界がイケてないんじゃなくて、

教育業界の中の、塾・予備校業界が圧倒的にイケてないんじゃないかなーと。

もっと言うと、塾・予備校業会で働く人間が、実は業界の未来が明るいってことに気づけてないのがイケてないなーと。

 

じゃあその「塾なんて」と思われる、イケテない教育業界って今度どうなるんでしょうかねーと。

 

一般的には、少子化が進む環境要因の悪化に加え、人→IT(映像)→AIと変遷するのが分っているわけなのでそもそも人を介在する塾「なんて」いらなくないか?と、想定される。

スタディサプリやら、MOOCやら、N高のように従来にはないネットを使ったコンテンツも台頭してきたし、2020年には公立小中学校にもタブレットが入るんだよね?

どんどん、人が介在する頻度も減り、価値の減少も見込めるので、こりゃあ業界はやばい。と想定されるんだが、

 

本当か?

 

明確な答えは持ち合わせていないんだが、意外なヒントは他の業界に埋まってるんじゃないかなーと。

 

本当に教育ビジネスに人が介在する必要ってなくなるのかな?

映像よりライブ感が重要だとかっていう次元の低い話ではなくね。

 

私はなくならないどころか、より価値が上がるものだと想定しています。

 

例えば、
生命保険なんて、

「人:保険のおばちゃん」

→「人:プルデンシャルとか、ソニー生命のようなスマートなライフプランナー」

→「IT:ライフネット生命」と変遷していったが、

ライフネット生命や、webでの保険ビジネスの業績を見ても、

実はやっぱり「人」が介在した方がいいよと市場が判断しているような結果になっている。

 

想像して欲しいんだが、どんなにAIが発達しても、自分の死に際にかかる医者は、なんだかやっぱり人間がいい気がするし、

ローン組んで購入する自宅をアマゾンで買おうともやっぱり思わない。

人生の進路を、妥当性が高いあみだくじで決めますか?

例え結果が、99%そのあみだくじと同じ結論になろうとも、非論理的なこだわりで、なぜだか人を介在させたくないですか?

 

そう考えると、

「複雑且つ手間がかかるサービスや、人生に大きな影響与えることを個人にカスタマイズする」というビジネスにおいては、どんなにAIが発達しようとも、最後は「人」が介在し続けるんじゃないかなーと。

 

組み合わせをMECEにしたり、パターンを早く算出するために機械が介在することはあっても、

人を介さずに、人が人生を左右する大きな決断を下すイメージがどうしても涌かない。

 

もちろん、人が介在するサービスは教育に限らず無駄なほど多いので、同業他社の中で淘汰されないように今を鍛えつつ、市場のルール変更に備えて、培った100が0にならないようにと、布石を打ち続けるのは忘れちゃいけない。

 

そんな感じで誠実にやっていけば、「学力向上」と「それに附随する人間形成の営み」が、人の「大きな財産」であり続ける以上、塾・予備校産業も結構面白いものとして残り続けると思うんだよなーと。

 

散らかったのでまとめます。

スタバで大学生が話していた、教育業界「なんて」に含まれる意味を、待遇で解釈すると、その待遇は自分次第でいかようにも変えられるし、

その「なんて」が、将来性のなさだと捉えても、意外に未来がある業界だと思うぜという話し。

 

それでも、教育業界「なんて」といわれる根深い理由は、業界の構造じゃなくて、まぁアレだよな。と思うところがあるので、それはまた忘れた頃に書きましょうかね。

 

私の働く教育業界の未来は、

「なんて」素敵なところでしょうか。

と思っていますよ。

 

 

そういえば、世界一周から帰国して1年経ちました。

=今の会社でも1年ですね。

頼まれてもいないのに勝手に経営者だと想定してものごとを考えるクセがついているのですが、

実態は「何を言うか」ではなく、「誰が言うか」の舞台に上がれてすらいない現状です笑

でもまぁまぁなんとかなるでしょ。

 

世間様からは、生き急ぐなという声も聞こえてきそうですが、

生き急ぎますよ!笑

坂本龍馬ならあと9ヶ月で死ぬんですから、31歳は。

 

なお、私は先生ではありませんよ。

でわおやすみなさい。