フランスでテロが起きましたね。Pray forとPlay forの違いから世界を始めよう。


 

フランスで痛ましいテロが起きましたね。

テレビのニュースより、SNSの方が早い。

 

朝起きて、

Facebookのアプリ上にて

「無事です。」

と発する友人たちの告知を見てその事実と、コトの重大さに気づいた。

 

ところがどっこい日本では全然メディアが報道していなくて、

そりゃあ港南台で87歳のおばあちゃんの死体が鞄に入ってた!とか、

福山雅治の結婚のおかげでジュニアの結婚がかすんでしまったとかそういう方がウケがいいわけで。

 

でもそれってメディアの役割としてどうなの?

という憤りは・・・僕にはない。笑

 

そんなことが今日いいたいわけじゃない。

フランスでのテロなんて視聴率が稼げるネタじゃないのはわかるんだが、

生存確認アプリのアラームから一夜明けたら案の定ですよ。

 

最近では、アイスバケツチャレンジとかさ、

LGBTの支援でアイコン変えるみたいなさ。

 

フランス頑張れ!というその裏で実はレバノンでも当日40人規模のテロが起きていたりしたんだが、殆ど報道せず。

フランス応援アイコンは存在しても、レバノン応援アイコンはない。

そういった善意の押し付けがファシズム的だし、なんか僕の気分に合わない。

 

そんな斜に構えたことは、、、、別に思ってもいない。

てゆうか割とどうでもいいし、祈りたいならどうぞ。

 

 

ただね、テロリズムの目的ってさ、驚異の拡散なわけだからああいったアイコンが乱立するたびに、テロの助長じゃないか!!!!

そこまで配慮した民度の高い行動をしないとなと。

だから俺はFacebookのアイコンを変えることもしないし、変えるような奴には軽蔑のまなざしを、、、

と声高に言いたくも、、、、ない。

 

僕が今回言いたいのはね。

件のテロがあって、フランスでは100名上が死んだけど、
その前日にレバノンでもテロがあってさ40名以上死んだんだよ。

フランス人が死んだら悪いけど、レバノンの人が死んでもいいのかいな?

FacebookのアイコンもPray For Parisはあるのに、なぜPray For Beirutがないんだよ。

権利の平等を説いた、あの国フランスがそれでいいのかいな?

というような21世紀の先進国に生きる自分に無自覚な青臭いことを言いたいわけでもない。

 

と、4回にもわたる前置きの末、今回考えたことは、

コトに対する違和感の存在ですね。

 

ISの犯行っていう声明があったみたいだけど、最近ちょっと尖がりすぎだよね。

ここまでのとんがり方は、組織としては、何らかの勝算があってか、

はたまた崩壊の寸前か。

原油安とかも考えると、ISという組織は今、後者だとは思うんだけどね。

 

まぁそんなこんなでおきた今回の事件。

フランスでもレバノンでも、論点違うけど、ウクライナの民族問題もチベットの民族問題も、

被害にあった当事者に追悼の念は抱きつつも、

人は所詮自分のことしか考えられないという無慈悲な現時を味方に、

誤解を恐れずに申し上げれば。

 

事件後に、一番強く感じるのは、

事件が起きてから今日までの自分の外様感。

これに尽きるでしょう。

 

どうも同じ21世紀の延長線を自分が生きている気が1ミリもしない。

歴史の一瞬を見ているかのような。

物語の舞台を観ているるような。

ワンピースのような進撃の巨人。

 

圧倒的外様感。

 

島国だから?

以前行ったイースター島のような文明と断絶しているような島国ならわかる。

でも、皆さんはこのブログをスマホの画面越しに読むくらいには高い文明を生きている。

 

すごく小さいことを言えば、ちょうど半年前はフランスにもちょっといたんだが、
地下鉄で、居眠りなんて怖くてできなかったし、やっぱり治安を意識してたんだよね。

南米やアフリカでは「治安」へのアンテナの立て方は、ヨーロッパの比ではない。
なんか街歩きするだけで疲れるあの感じ。

それが今日本を歩いていると全く意識することがなくなった。

 

治安を気にせずに生きられるのは先人に感謝すべきなんだろうけど、

この鈍感さって、これから結構大きなしっぺ返しがあるだろうな。

 

一見、世界中の進歩の恩恵を受けて生きているので、我々も世界の一員のように錯覚するけども、

今回のテロに関して

「何も感じない。」

というのは本当にやばいなと。

 

特定の何を感じるのかは、完全にお任せしますけど、

今回の事件を受けて、何も感じなかったことは、テレビでの報道具合を見ればよくわかるでしょう。

 

 

世界を生きている気でいるけども、

実は日本を生きている。

世界とはなんだか違う現実を生きているこの感じ。

 

今後もっともっと門戸を開くのは自明ですから、

[日本と世界]

じゃなくて、

[日本も世界]=[世界の一部]

になったときに、

その衝撃と変化に日本国民て耐えられるのかな?

 

思考停止で目の前の世論に迎合することなく、自分の意思を持ち、

また、持ち続けつつそこで戦っていける人材を育てたい。

 

今回のテロでフランスへの追悼の念を抱くのは人間として、当然ですし、

その想いに、レバノンでのアラブ人が入らないのも、今の日本に生きれば当然でしょう。

 

そろそろ、そろそろですよ。

日本じゃなくて、目の前の世界を生きないと、世界はどんどんと変化して日本だけがドーナツ化現象。

 

知っていて、その振る舞いの延長にドーナツ化を選べるならそれでいいけども、

知らず知らずのうちにタコツボ化しちゃうのは、もはや日本のお家芸。

やばいやばいと煽るのも、ちょっと違うと思うので、

 

まずは目の前から一歩ずつ。

日本赤軍など、戦後日本も世界的にテロ組織産出国家だった歴史を知りつつも。

 

Play と Prayの意味の違いから勉強しようか。

 

 

世界一周しても、価値観なんてかわらないという持論があるんだが、

世界の一員という自覚は強くなったかもしれない。

そんな秋の夜長。