【かじさんぽ6】大学入試に現代文は必要ない? 〜自己主張と発信力を高める時代に〜


 

結論:超必要だよ!

 

さて、旅にも慣れてきたような気がする今日この頃。

街を散策して、会う人たちと話をしていて、感じるんだが・・・

こいつらみんな自己主張激しすぎるだろと。笑

 

実感値としては

中国人>アングロサクソン>南米の人>日本人バックパッカー>黒人≒東南アジア人>俺。

by俺調べ。

 

 

いちおう教育者の端くれを自負したいがあまり、行く先々の国で会った人に

「おたくの国の教育ってどんな感じ?」って聞くんだが、

ほんと多種多様。(当たり前か・・・笑)

 

でも、旅をしているような人は年齢を問わず大体、日本でいうところの高卒か大卒。

いや、ほとんどが大卒(or在学中)の人ばかりでしたね。

日本とほとんど変わらない。

 

現地人に、平日の昼間からこの子ここにいるけど、学校は?って聞くと、

義務教育なんてないから小学校も途中で行くのを辞めたと答える人が何名かいらっしゃった。

 

というより、国が制度として「義務」化しても、

それを遵守しないことを罰する法規がなく、有名無実化しちゃうんですよね。

刑法で言うところの刑事訴訟法みたいなね。

IMG_20150413_084246
写真はメキシコの学校。

 

で、色々話していて思うんだが、日本の教育が決定的に欠けているのは、

「発信力」の育成不足ですかね。

 

なんか外国の人の話を聞くと、だいたいの授業で、自分で調べることがあっても最後は、ディスカッションしたりプレゼンしたり・・・その宿題が多くてダルいみたいな話をみんなしてくる。

 

話題で盛り上がるのは、

  1.  なんで日本人は英語あんなできないんだよ?いつから始めたの?
    →中1からで、実際高校はみんな行くんで6年間はほぼ義務で勉強しているよ。
    →おークレイジー!みたいな。
  2. うちの国じゃあ 人がどう感じるかを客観的に考える現代文なんて授業はないぜよ。

 

の2点はだいたい盛り上がる。

 

 

特に2番目は意図的に僕が聞くんだが、そういった類いの授業をやっている国は本当にない。

フィンランドの女の子が、なんか写真の表情見てどう感じるかの授業があるとは言っていたが・・・。

英語の話は今日は止そう。

2の現代文の話。

 

なーるほど、そういわれれば、教育でも日本はとことん発信力を鍛えないな。

そりゃあまずいー!ってことで、

文部科学省の下村さん筆頭に、新教育課程にはやたら「発信力」が明記されているような気がする。

 

なーるほど、こんな時代に現代文の授業なんて意味がないーという考えも正鵠を得るだろう。

でもね、海外に出てほんとに思うのが、日本のおもてなし精神の素晴らしさ。

 

相手が何を考えているのか、相手の立場に寄り添って考え、行動する。

これが無償でできる国民性を涵養するのに、現代文という科目が少なからず役に立っていると俺は思うんだけどなー。

日本のサービスを可視化すればGDPはもっと上がる的なことを前回ちらっと書いたが、

それくらい日本のおもてなしの心は、費用をいただくに値するよ。

 

確かに、主張は大切ですよ。

無言の笑顔では伝わらないこともある。

 

でも、相手の立場に寄り添えない主張が、東ティモール独立の際には問題を複雑化させてしまったし、ウクライナのそれもそうでしょう。

単純な東と西の線引きではなく、そこに土着する宗教、歴史的背景が、国境を単純にさせてくれない。

そんなところにまで想いがよらない自己主張だからこそ、

事を難しくさせてしまっているんじゃなかろーか。

 

ナショナリズムというか、世界中で民族が見直されている昨今。

英語=発信力の強化という単純な思考や、外圧に迎合した教育改革ではなく、

もう一度、いや引き続き、「思いやりの心を涵養する教育と文化」の大切さにも目を向けてほしいですなーと。

 

そう考えると現代文って科目はめちゃくちゃ大切じゃない?

文章の中から、他者の機微を感じとれる。

世界中で日本を除いてあまりないっていうレアさも素敵じゃないっすか☆笑

 

日本復興の鍵は現代文ですよ!

受験は社会に出ても役立つよー

と、そんなことを思ったペルーでした。

かじさんぽ@クスコ(ペルー)