映画『るろうに剣心』に学ぶ日本人の適応力のなさ。 〜所詮この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬんだ。〜


 

ちょうど1年くらい前に映画るろうに剣心を見て、

「こりゃあ続編作る気がないだろ」

と書かせていただいたんですが、

なんとこの夏続編がリリースされまして・・・

 

結局、3作品全部見させていただきました。

 

以下、感想を・・・。

 

1作品目:おもしろくないけど、映画館で見てもいいかな。

2作品目:おもしろくないので、映画館で見なくてもいいかな。

3作品:おもしろくないけど、映画館で見てもいいかな。

 

まぁ、総じてあまり面白くないのだが、今回は戦うシーンが結構あったのでまぁ見ていて面白いところはあったよ。

 

佐藤健の転び芸(そんな芸があるのかは知りませんが)はもう天下一品。

彼が吹っ飛ばされているシーンを指折り数えるのを忘れた自分が憎い。

 

さて、本題。

作中で、瀬田宗次郎というキャラが、

ダウンロード (6)

「所詮この世は弱肉強食、強ければ生き弱ければ死ぬんだ。」

という名台詞を残すんですが、

ここで違和感。

 

決して「死ぬんだあぁああああああッ」がなんで最後カタカナなのかということではなく・・・

 

 

 

世の中「弱肉強食だ」は事実だけど、

弱くても生き残るだろ。

 

 

ほら、ゴキブリなんて弱いけど、世界中を席巻しているじゃないですか。

蚊だって弱いけど、デング熱のおかげで今やマリオのスター状態。無敵ですよ。

 

生物的な考えや、社会学的な切り口もあるんでしょうが、

すごくシンプルに言い換えるならば、

 

「所詮この世は弱肉強食。適応できれば生き、適応できなければ死ぬんだ。まぁ結局最後はみんな死ぬけどもね」

 

が正解でしょう。

環境に適応した人間が強い。これ当たり前。

 

以前からも感じていますが、昨日までシェアハウスに住んでいたこともあり、強く思う。。

日本人ってほんと適応能力が低い人が多いよなーー。

3食くうのに困らない環境を嘆いても仕方ないが、それにしても変化を嫌い過ぎだよなーと。

 

その許容できない事実に愚痴るエネルギーを、その事実を変化させるエネルギーに使えばいいのに。

 

紋切り型の「あるある論」で考えば、

変化を嫌う癖に、それに対して言及できないのが、典型的な日本人。

それでも今までは、世界の中でプレゼンスを輝かせていたから通用してきた。

 

年金は、現代世代がじいちゃん世代を支える仕組みだから、出生率から考えて長期的には破綻する。という一部だけを切り取って年金返ってこない論を展開する人もいますが、

意外に支出が低い事が知られていない我が国ニッポン(他国に比べるとかなり効率的な支出)

たーーーーだ、収入が少ないんで借金が減らないだけ。

 

乱暴に展開するならば、ここを解決するには、

「税金を増やす」ではなく、

「外貨を稼げる人を増やす」

が正解だろう。

 

増税について話しても今日の話題からズレる。

話しを戻そう。

 

るろうに剣心を見ながら、2014年の現代が、僕の目にはあの幕末から明治にかけての日本とリンクし。

志々雄真実を倒した剣心や明治政府も、結局のところ、海の外からの脅威には適応できず。。

日本の諸問題を解決しようとも、世界は日本を中心には回っておらず。

書くまでもない当然のこととして、世界はあなたを中心に回ってはいない。

もちろん俺も含め。

 

この環境変化に適応できた人が、残っていくし、できない人は残らない。

※ここでいう「残る」とは2014年現在の日本の生活水準を維持し続けられるという意味で使っています。
相対的に日本の力が弱まって行くだろうから、国内にいる周りとの比較では差は縮まらないと思うので、その意味に置いては、身近な周りを見続ければ幸せ度は変わらないでしょう。と同時に海の外に目を向けない方が幸せでしょう。

 

歴女を差し置いて、あの明治の激動と時と同じくらいの変化の時代に生きられる自分は、幸せなのか不幸なのか。

 

無知の杞憂であってくれと願う自分と、

ほら見たかザマーミロ。と言って胸を張りたい自分の狭間の中で、

少なくとも適応できる能力を磨こうと思ったるろうに剣心でした。

 

国内で受験や、就活やインターン頑張るのもいいけど、

ミャンマーに適応している同級生もいるし、

カンボジアに適応している同級生もいる。

ほらふと電車の隣に日本語話せない外国人が座っていないかね?

 

レールを外れるという選択肢を頭の片隅にいれてもバチはあたらないと思うんだけどな。