ドリームキラーの必要性 〜「頑張らないで大丈夫。夢を壊す人(ドリームキラー)がいませんよ。」に潜む罠〜


 

ドリームキラー:夢を諦めさせようとする。または、否定するような人。

 

久しぶりにブログを開いてみたら、

なんかPVが連日過去最高を更新しているようです。

 

どうやら、ソーシャルアパートメントネタが多い模様。

ということで、今回は全然違う話しを。

 

「ドリームキラーのいない場所で思いっきり夢を語り合いましょう!」

がなんだかちょっと気持ち悪い理由について。

 

 

 

最近、セミナー等の宣伝文句で、

「がんばらなくていい」それでいて結果を出すというのを頻繁に目にします。

 

おそらく、「頑張る」の定義の違いで、結果を出す人は客観的に見れば間違いなく何かを「頑張っている」と俺は思う。

がしかし、頑張らなくても大丈夫ってなんだそれ。

「頑張る」にはネガティブな印象ありますかね?

 

同じくらい違和感を感じるのが、

ドリームキラーのいない場。

「うちのセミナーはドリームキラーがいないので、

自分の夢ややりたいことを思いっきり話せます!」とのこと。

 

そりゃあ大いに結構。

でもさ、ドリームキラーって結構必要じゃないか?

 

というのも、

ライフネット生命の岩瀬さんも言ってたけど、

社会は機能性・合理性だけではなく、一定のプロトコール・規範のもとで動いている

 

そうなんだよね。

結局はそうなんだよ。

ここでドリームキラーのいない場所が怖いのが、

そのプロトコルから大幅に外れている人にさえも

「君らしくていい。それは個性。私たちは絶対に否定しないよ」と伝えてしまう虞れがあること。

 

個人的には、「なんで人を殺しちゃ行けないの?」的な質問には

「ダメだからダメ。あほか」と一蹴したい。

 

いずれにせよ、ドリームキラーの不在は、

そういった、「ダメなことはダメ」を言えなくする空気を孕んでいて・・・一言で表現すれば、

なんだかまじキモい。

んです。

 

なんだか巷には

頑張らないで結果を出すセールス

とか、

ドリームキラーのいない場にて夢を語り合うとか、

耳障りのいい言葉があふれ過ぎだろう。

 

と、

深夜に、俺は夢の途中だ的な鬱ツイートをつぶやいてたり、

気づいた!私頑張りますとつぶやいたり、

私を認めてください的なツイート見るたびに思う。

 

いいから働けよ。

とね。

 

いや、新卒で社会人になって、色々壁乗り超えてこれから頑張ります!だったり、

なんか結婚して改めての意思表示とか、そういうのは見ていて微笑ましんだけどさ。

 

ドリームキラーいない場所で輝きたい!系のつぶやきってさ、

おおにして同じ人が毎日連続していて・・・

それでいてなんも変わってなくて・・・

なんだかお腹いっぱい。

 

そういう人にこそいっそ、「いいね」ではなく。

「お前なんかつぶやいているけどなんも行動してないじゃん。あなたの夢と行動を愛のムチでダメ出ししようか?」

みたいな対応をしてあげた方がよっぽど愛があるなと。

 

そんなことを思った深夜。

寝ます