クレームを伝えるには「立場」が必要 ~近年増える意味のわからないクレーム~


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フリーターと見せかけて実はちゃんと仕事をしているのですが、最近僕の周りでは

クレームを言う立場にない人間のクレームが増えてきた。

さながら、別に告白されていないのに勘違いして「ごめん君とは付き合えない」って断るくらい意味がわからない。

そのメカニズムについて今日は考えてみよう。

 

まず、「クレーム」を辞書で引いてみよう。

>> クレームとは、購入した商品・サービスに意見や不満をもつ顧客が、それを提供した企業に対して問題点を指摘したり、苦情を述べたり、損害賠償を要求したりする行為。または、その内容のこと。

とのこと。
仕事をしていればクレームの1つや2つがあるとは思う。
じゃあクレームの目的ってなんだ?

1、ストレス発散
2、クレームにより問題の解決をはかる

2は理解できる。辞書通り。

購入した商品に瑕疵があるのでクレームにて代替商品や、代替手段で解決。
だってせっかく時間やお金をかけたのに対して、それを台無しにされては俺も嫌だ。

また、100歩譲って、1も理解できる。

こんだけストレスフルな社会に生きていて、何かの拍子でぷっつーんとしてしまい、

全く関係のないことを引き合いに出してキレる。これもね、嫌だけどまぁたまにはしょうがない。

 

クレームを言える立場の人間が言うならば!である。

 

ここ重要!

テストに出るよ!!

クレームにおいて重要なのは、「購入した」及び「それに相当する利害関係がある人間」が主張することであり、

だからこそクレームとして意味をなす。

 

最近僕の周りに多いのは

ボランティアに残念だと伝える類のクレームである。

 

本当に多い。

これは日本の教育業界特有じゃないかというくらい多い。

いや、ほかの業界もたくさんあるか。

フリーでローンチしたアプリの不具合にぶちぎれて、がなりたてるユーザーとかが該当するか。

 

本来的にクレームをいう立場にない人間が残念ですということを目的にがなり立てるクレーム」である。

もちろん僕も、以前クレームを言ったことがある。
とある寿司屋にて酔った客がうるさく、店内も狭く、あげくにそれ抑止するのではなく囃し立てる店主。
ぶっちゃけ多少うるさいのは気にならないんだが、人に叱られているような心臓がドキドキするくらいのうるささ。
でもまぁ、回転寿司なら許容しよう。チェーン店なら許容しよう。

さすがにちゃんとした(ちゃんとしたいであろう)店であのやかましさはないだろう。

残念すぎてほとんど残して帰った。

でも怒りが収まらずに、戻って店主に、「チェーン店じゃないのに、今日のあれはないでしょう。あんたらも大人ならアホみたいに酔ってないでちょっと考えろよ」と怒鳴ってしまった。

※チェーン店という表記に他意、例えば先日の松屋の記事にも書いたが値段によっては安かろう悪かろうを許容しているという意味である。

 

繰り返しになるがクレームをいう立場にないというのは、
例えば被災地ボランティアに2週間くる予定だった人が子供が病気で1週間で帰ってしまったら、どう思うだろうか?

・・・どう考えても、感謝でしょう。

期待していた仕事量をこなしてくれなかったとしても・・・

来てくれて、タダで被災地復興に尽力してくれるその姿に・・・

感謝でしょう。

 
まとめます。

クレームの本来の意義から離れて、クレーム自体が目的になるならまぁまだ許せる。
でもそれどころか、本来的にはクレームをつける権利のない人が
声高に残念だ。と伝えてくる理由が僕には理解できない。

そして、皆さんの想像以上に多い。

モンスターペアレンツとはちょっと違うのかもしれない。あれはあれでクレームをいう立場にある人間の度が過ぎているのだろう。

同じモンスターペアレンツでも「クレームを言う立場」にない人間がいうのとはわけが違う。

若い頃は「いやいや常識的に考えてくださいよ。ボランティアでやっていることですよこっちは」と諭していたんだが、

僕も大人になって想像力がついた。

今や「あぁ、クレームを言うことが目的ね。しかもこいつは言う立場にないって気づいてないんだろうか。と日本の行く末に想いを馳せながら、友人に子供がうまれたfaceboookの投稿にいいね!を押しながらすみません。」と言えるくらいは大人になった。

※注:明らかに自分やスタッフが悪い時は誠心誠意謝罪しております。(めったにそんなことないけどね)
もちろん賛否両論あるだろう。
どんなクレームでも真摯に対応してこそのサービス業というのも正鵠を得る。

 

でも問いたい。

あなたはそんなクレームにまで心を偽って真摯っぽいふりをしてまで今の仕事を続けたいのか??

もちろん家族のため会社のため、私憤を抑えてというのもあるだろう。

現実的には難しいというのも理解できる。

厳しく言えば、私憤を抑えてまで謝罪のふりをしないとご飯を食べていけないほどの立場にしか自分がいれないのが悪いと思い込もう。

でもさ、こんな小難しく考えなくても

普通に、想像力を働かせたらでてくる結論なのにな。

ボランティアに来た人の仕事のデキが悪いからってどなり散らす自分の姿を鏡で見るとなんとも醜く恥ずかしい姿がそこにはあると思うんだが、

そうでもしないとやってられない日本の閉塞感のせいにしよう。

そうしよう。